はじめに
今回は、パチスロを打つためのタネ銭を得るためにどんなバカげたことをやっていたかを振り返ってみたい。本当にバカだった。
反面教師として読んでもらえると嬉しい。
マネはしないでほしい。
とてもつらいから。精神的に参るぞ。
ちなみに、これから話すのは2002年~2004年頃のお話。
2020年現在では通用しないこともある。悪しからず。
パチスロ依存症真っただ中、現金が無い・・・
パチスロにもっとものめりこんだ時代は、まだまだ4号機。
週末打ち込むだけでも平気で10万とかが吹っ飛んでしまう。
学生時代、社会人1年生の俺はすでに学生ローンやサラ金に手を出してしまっている。
それでも金がない・・でも、打ちたい・・
依存症の怖いところは、タネ銭を得る方法を探しに探し、それが長期的にみると損だったとしても今すぐパチスロが打てればよい、勝てばよいという短絡的思考に落ちてしまう点にある。
それでは紹介していこう。
その1:クレジットでお買い物
借金があってもクレジットの枠は残っていたので、それで買い物をして、買った現物を売り払って現金に換える方法。
当時、PS2(のスリムなやつ)がそれなりな値段で売却可能だったのでPS2をクレジットで購入してそのままゲーム屋に売却していた。
確か20000円ぐらいで購入して15000円ぐらいで売却可能だった。
5000円損じゃねーか、とか考えられない。
考えてもパチスロ打ちたいんじゃー熱が強すぎて行動してしまう。
依存症の人は打つ金の工面のためならとても行動力があると思う。悲しい。
その2:交通費
社会人になると、給料の他に交通費も支払われる。
会社によって支払方法はさまざまだが、自分が勤めている会社は半年分の交通費が支払われる。
それで6か月分の定期券を買うのが普通なのだが、自分は1か月分しか買わなかった。
余った金で、、、である。
ひどいときは定期券すら買わず10枚つづりの回数券でしのいでいた時もあった。
給料日がいつで、それまでに何回会社に行かなければならないか、そのために必要な金額はいくらか?
という風に、普通の社会人生活では到底考えないような低レベルなことを考えながら生きていた。
当然、会社での昇進は遅れに遅れた。自業自得である。
その3:親に無心
かなりのクズっぷりである。
大学時代、親に色々な事情を言って金を送ってもらったこともある。
・大学で専門の教材が追加で必要になった(そんなものない)
・サークルの合宿がある(サークルには入っていない)
・各種費用(引越しとか、食費とか、あれやこれや)の水増し
総額で言うと、大学4年間で30~50万は追加でだしてもらっていたと思う。
元々、生活費(食費、アパートの家賃)や大学の学費を出してもらっている上に、上記の追加費用も出してもらっていた。
ひどい息子である。文字にしてみると本当にひどい。
借金返済し終わってからはことあるごとに親に金を入れていた(返していた)が、結婚したり子供ができたりした際にそれ以上の金を親からもらうようになっていた。
親には頭が上がらない。感謝しかない。
父親からのボーナス?
実家に帰った際、父親にこっそり1万円をもらったことがある。
どうして?と聞くと、「パチスロで勝ったから」。
血は争えないものである。当時はミリゴ全盛期。
「何で勝ったの?」という言葉が出そうになって飲み込んだ思い出。
そういえば実家に住んでいる頃、父親は休日夜になると頻繁に出かける時期があった。
パチスロかパチンコである。(父親がパチンコ好きなのかパチスロ好きなのかは知らない)。
母親はあきれていた。大勝して帰ってきても、数日後には負けるからである。
パチスロはそんなものである。。
その4:身の回りの物を売る
その1~その3を実行しても金がない、もしくは生活費ですら困窮するようになると、家にあるものを売るようになる。
その1のクレジットで買いものは売るために買うのであるが、ここまでくるとかなり苦しくなっており、売るつもりがなかったもの、売りたくないものまで現金に変えようとしていた。
マンガ本や時計、靴や服なども売れそうなものは売っていった。売れたらその足で現金握りしめてパチスロを打ちに行く日もあった。狂ってた。
最後に
「パチスロでこさえた借金は、パチスロで勝って返したい。」
そのための現金を生み出すために、かなりの損をして生きた時期があった。
本当に損である。損しすぎて計算したくないほど損しているはずである。
今振り返れば、パチスロは現状現金が無いと打てないのは最後の砦になっていてよかった。
クレジットカードで打てるようになっていたら即破産だったと思う。
6号機になった今、当時のような狂いまくりのパチスロ依存症は減ったのだろうか。